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1.製品概要
■水害・土砂崩れ・落石・噴火等の自然災害から人命・データ・財産を守ります
■地下埋設に限り専用の空気清浄機を取り付ける事により核シェルターとして機能します
■国際規格IP68準拠の完全防水構造
■独自開発のフロートバルブ「特許所得済」により水害に完全対応します
■現代版の蔵としての普段利用
■治安悪化による護身として寝室としての利用
■現代版の蔵として金庫・楽器・着物・絵画・秘蔵図書の保管
多目的防災核シェルター「AEGIS」(イージス)は公的機関による強度解析と厳密な社内検査基準により裏付けされ、確かな技術の下で開発された近年深刻化する自然災害から身を守る術として2020年に開発されました。地球規模での気象変動に伴い急な大雨による河川の氾濫や土砂崩れによる被害が毎年のように発生し、巻き込まれた多くの方が亡くなっております。近年の自然災害の特徴として線状降水帯によるゲリラ豪雨被害が一番にあげられます。短時間に尋常でない程の雨量に治水が追い付かず、市内全域が湖のように水没してしまったり、堤防の決壊により河川の氾濫が毎年のように報道で目にします。また、大量の雨が降り注いだ事により、地盤が緩み大規模な土砂崩れの被害も発生しています。わが国、日本の国土の75%が山地とされており自然と共に生活していかなければなりません。このような環境下に置かれたなかで、尊い命を守り、万一の状況下でも生き抜く為に「AEGIS」(イージス)が誕生しました。日本では水害が一番多いので、完全防水構造による設計をしております。また多様なシーンに対応する為に拡張性と柔軟性に富んだ基本設計の基に設置環境をヒアリングし最適な仕様を決めていくフルオーダーシステムを採用しております。
以上の特徴を生かして現代版の蔵として万一に備えて大切な楽器や絵画、着物や書物などを保管しておくのにも最適です。また治安悪化に伴う近年多発する強盗から財産よりも大切な命を守る術として寝室としての利用方法も考えられます。
さらには自然災害用だけにはとどまらずNBC(核・生物・化学兵器)空気清浄機を取り付けて地下埋設の場合には、 有事の際の核シェルターとして万一の安全な避難場所として活用頂けます。
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2.開発動機
当時22才だった私の目に飛び込んできたのは、忘れもしない1995年1月17日早朝に発生した阪神淡路大震災の被害状況を伝える目を疑う映像でした。高速道路の橋脚は倒れ、鉄筋コンクリート製の高層オフィスビルが倒壊し、家屋は押し潰され非現実的な報道に自然の猛威の威力を知り恐怖を覚えたのを思い出します。
そこで今までの何か災害が発生したら屋内に居るのが一番安全と思っていた概念が崩れました。安全と思っていた建物自体が崩れてしまえば意味がない。建物が崩れても身を守る術を身に付けなくてはならない。鋼鉄製の頑丈なシェルターがあれば災害が発生しても救える命が増えると思い、いつか自分でシェルターを開発し、尊い命を災害から守ると決意しました。
それから四半世紀の25年が経った2020年1月に長年の思いを形にした多目的防災核シェルター「AEGIS」(イージス)が誕生しました。
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3.開発に至る経緯
被害状況が報道で連日伝えられる中で、違和感を覚えたのが体育館などに避難した方々の避難所生活でした。25才位の若い女性の隣に赤の他人の70才位の男性が仕切りもなく生活している現実に「避難所には最低限のプライバシーもないのか!」と衝撃を受けました。全く気の休まる事もままならない避難所生活の少しでも改善できる工夫はないものか?と考えて、今では当たり前にあるダンボール製の折り畳み式パーテーションを考えました。ホームセンターで段ボール資材を購入し、カッターで切れ目を入れて折り目を作り1人用~家族用まで複数種類の試作品を作り、何度も作り変えては試行錯誤を繰り返してスムーズに折り畳めて簡単に広げて設置できるパーテーションの試作が出来ました。そこから当時、覚えたてのパソコンで簡単なチラシを作り、特許所得に向けて弁理士に依頼をし、量産へ向けて製造可能な工場を探したりと全てを同時進行でやっていました。
販売チャンネルは当時お付き合いしていた防災関連メーカーの方や、叔父が宮城県気仙沼市の市役所に勤務していたので先行してチラシを渡し反応を伺っていました。 評価の方は上々で「最前線である避難所の現場では最も必要な物だね!製品が出来たらスグ送ってもらえれば関係各所に情報を流すよ」と言っていただいたものの、段ボール加工と異業種の付き合いも無ければアテも無く、時間だけが無駄に過ぎていき更には開業して2年半の一番お金が無い時で開発資金がついに底を尽きてしまい製品化には無念にも辿り着けず断念しました。
その後、数年してからTVニュースで同様の避難所向けの段ボール製パーテーションを開発したと複数のメーカーが取り上げられて現在では更に進化したパーテーションや機能性の高い付随する避難所グッズが世に誕生しております。
量産化して自分の手で世に送り出す事の出来なかった無力さと悔しさが「AEGIS」(イージス)を作る原動力となったのは言うまでもありません。まずは何がダメで量産化が実現しなかったのか?を見つめ直し、異業種の製品構造故に全て外製化に頼らざるを得なかったのが核心的な問題であったと反省し、全て内製化できる防災用品を作ろうと考えました。鉄筋コンクリート製の建物自体が崩れても身を守れる金属製の頑丈なシェルターなら内製化で対応できると思い、いつかはシェルターを作ると決意しました。
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4.開発に向けての準備
シェルターを作ると決めてからの道のりはとても厳しく、そして長いものであり私の人生を掛けてきたと言っても過言ではありません。工場も必要、機械設備も必要と、あれもこれも必要な事ばかりで、本業の仕事をシェルターの為に頑張ってきたと言えるかもしれません。仕事内容の変化に合わせて機械設備を更新したり新たに導入して仕事の幅を増やしていきました。夜な夜な時間を見つけてはシェルターの図面を少しづつ仕上げていき、一歩づつ出来ることから地道に進めていきました。ここまで順調に来た訳ではありません。2002年創業時は平成不況末期と言われていた時期であり、低迷状態からのスタートを切り、紆余曲折しながら仕事内容を時代のニーズに合わせながら徐々に事業規模を拡大していった矢先、2008年に世界的不況のトリガーとなったアメリカ発のリーマンショックにより、弊社も壊滅的な打撃を受けました。スタート地点に巻き戻された瀕死の状態からもシェルターを作るという強い気持ちが後押しして、なんとか立ち直り始めたところで3年後の2011年の年明け早々1月にやっと念願の工場が完成し引き渡しになりました。希望に夢を膨らませてシェルター開発に一歩近づいたと胸踊る時間はあまりにも短い時間でした。2カ月後の3月に東日本大震災により、全国的な輪番停電により親会社の操業もままならない状況の中、当然弊社も1日の内に電気が使えるのは4時間程度しか使えない状態になり、売上げの確保どころの騒ぎではありませんでした。更に借金をしての工場建設ですので返済も始まり正に泣きっ面に蜂状態でした。
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5.スタート地点
様々な困難を乗り越えて事務所も工場も沢山の機械を一通り揃えても、まだ一番必要な物がありました。シェルター自体が重量物となりますので天井クレーン付きの工場が必要です。2002年に創業して、8年後の2010年の年末最終日に事務所と機械工場が引き渡しされて、それから更に7年後の2017年に天井クレーン付き溶接工場が完成しました。22才の青年だった私がシェルターを作ると決意して、30才で創業してから既に15年の歳月が過ぎてしまったが45才になってもその想いは尽きる事のない夢と希望と情熱で満ち溢れたままで環境が整った事への興奮を今でも忘れることができません。
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6.開発開始
日本では各地で昔から水害に悩まされており、歴史を振り返っても地図を変えるほどの大規模な治水工事の恩恵で現在の生活が成り立っています。そこで、設計段階から水害を視野に入れて完全防水機能を有するシェルターとして盛り込んであります。先ず初めに取り掛かったのは完全防水を保障する為には検査実績による裏付けと実績が必要不可欠となりますので、それらに必要な検査治具類を作りました。気密漏れの可能性があり、最も重要視したのは側面扉と上面ハッチの出入口です。側面扉と上面ハッチはそれぞれ専用の水没試験容器を制作し、実際に7日間の水没試験を実施しました。この時に上面ハッチにおいて、2日目の試験日に数滴の水漏れが確認されたので試験を中止し原因を追及しました。ハッチの設計をゼロから見直し何度も作り変えを行い、パッキンの硬さや材質を何種類も取り替えては試してみました。扉や本体側の形状に合わせてパッキンの材質や硬さに加えパッキンのつぶし加減も重要な要素であり、1カ月半も続く気の遠くなるような連日のトライアンドゴーを繰り返し何十通りもの組み合わせの中から最適なデータを取り、迎える2回目の水没試験に挑みます。7日間連続水没試験の結果は無事にクリアーしました。なお、シェルター全体の気密試験は大きい容器にシェルター本体を実際に水没試験する実験設備はありませんので、シェルター内の空気を抜いて一定の負圧状態を計測しての試験方法を行いました。
これらの試験を無事に終えた事で本格的に心置きなく制作作業に取り掛かれます。
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7.制作開始
溶接工場が出来て2年後の2019年春、万を期してこの日の為に十数年掛けて夜な夜な書き溜めてきた図面を解放する時がきました。シナリオは出来ているのでそれに沿って図面から鉄板を加工して1つ1つのパーツを作っていきます。床のパネル・側面のパネル・天井のパネルと流れ作業的に次々と揃っていきます。
作り始めると工場内だけでは収まらず敷地内にもトラックの荷台も利用してパネルがどんどん積み上げられていきます。
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8.組立開始
パーツが揃えば組み立ては順調に進んでいきます。特注のパッキンもメーカーより届き資材も大量に毎日届きます。
この時が長年の想いを夢を実現に向けて着実に一歩づつ進んでいるという実感に包まれていました。作業を進めていくうちに期待とは裏腹に段々と気持ちが落ち込んでいってしまい1カ月ほど何も手が付かず塞ぎ込んでしまった時期でもありました。
この組立開始時期に来るまでに強度計算費用・原材料費・資材費・特注パッキン費に加え高額な検査機器などの為に会社のお金がみるみるうちに無くなっていき遂には会社のお金が尽き果ててしまいました。
完成まで折り返し地点を過ぎて第三コーナーを回ったところであり、ここで辞める訳にもいかず個人の貯金を会社に入れて完成を目指して続行した訳ですが、個人の貯金額なんてたかが知れている訳で3カ月しか資金が持ちませんでした。
勢いだけでここまでノンストップできたけれども、ウチの会社の規模でシェルターなんて無謀だったのか❓夢や希望と情熱だけでは進めない資金難という厳しい現実に自我を保つのだけが精一杯で塞ぎ込んでしまいました。
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9.挫折
そんな塞ぎ込んでいた時に妻の地元である富岡市で令和元年10月12日に台風19号の影響による土砂崩れがあり3名の犠牲者が出たとの報道があった。また新聞記事にある写真の鏑川は妻の兄の自宅の脇を流れている川で、義兄の家も写っており鏑川の氾濫で床下浸水で避難命令が出たとのこと。義兄曰く自宅は川に流されるのを覚悟したらしい。
資金難という厳しい現実に負けて塞ぎ込んでいる間に実際に縁もゆかりもある妻の地元の富岡市で甚大な被害が出て、しかも犠牲者も出てしまっている。自分が長年思い描いていた防災シェルターは日本全国で発生するこのような自然災害から犠牲者を出さずに尊い命を守る為に世に送り出さなければならないんじゃないのか!原点を振り返り改めて想いを成し遂げる事の重大さに気付かされた瞬間であり、初心に返り、なお一層の強い使命感を持って完成発表を行うと誓いました。
この時のシェルターの完成具合は最終コーナーを抜ける寸前のところまで来ており、最後の資金注入という事で妻に頼んで会社に開発資金を入れてもらいました。
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10.完成
熱い情熱だけでしか説明できない先行きの見通しが全く分からない中での状況で、理想論だけでなく収入の糧として資金注入した分の回収のメドは立つのか?妻から資金注入してもらった分も瞬く間に無くなっていくにつれて、夫婦仲がぎこちなくなっていきました。当然、笑い声など一つもなく家に返っても不穏な空気が漂っておりピリピリした重く苦しいどんよりとした空気に包まれて破産寸前の離婚の危機を肌で感じておりました。長く険しく苦しい道のりも2019年の12月に完成し、やっと世に発表する日を迎えられるようになりました。
翌年、2020年1月11日(土)12日(日)の2日間で完成発表会を工場内で行いました。少しでも多くの方に知って欲しいとの想いからキッチンカーを呼んで完成発表会を行い、地元の伊勢崎市内はもちろん、県外からもお越しいただき大盛況を収めました。タイミング良く群馬県の機関でメディア向けプレスリリースの勉強会があったので参加したりもしました。
おかげさまで現在までたくさんの新聞・ラジオ出演・テレビ出演をさせていただいたり、地元市議会議員の方々はもちろん近隣の町議会議員の方々や県議会議員そして国会議員の方々まで直接足を運んでいただき今後は国民レベルでシェルターの必要性を共有していただき普及に向けて意見交換をさせていただきました。
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11.あとがき
長い文章にもかかわらず最後までお読みくださり、誠にありがとうございます。きっかけとなった阪神淡路大震災からちょうど四半世紀の25年が経った同じ月に思い描いていた防災シェルターの発表会を行えたのは深い縁を感じます。
世界規模による異常気象の影響から関連するゲリラ豪雨を含め人命に直結する災害が多発しています。そのような災害から身を護る術は今まで無かったのではないでしょうか?自然災害だけではなく治安の悪化に伴う強盗強奪や詐欺犯罪も年々増えてきています。また、ロシアのウクライナ侵攻や中国の台湾・尖閣諸島を狙った不穏な動きなど予断を許さない状況になっています。不安を煽るつもりは全くありませんが、最悪の場合を想定して事前に予防線を張っておかなければならない、そんな時代になってしまったのは事実だと思います。
自然を愛し、全ての人たちが愛に笑いに希望に満ち溢れ、誰もが明るい未来に希望を持てる世界が訪れる事を願っています。
開発者・代表取締役 赤石祐司
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